絶滅寸前の正統派良質メンブレンキーボード

打ちやすいキーボードといえば、広く知られているのはメカニカル式や静電容量無接点方式だ。しかしこれらを買うとなると価格が高い。これらの高価格な製品にはさすがにかなわないまでも、もっと手軽な金額で、打ちやすさに配慮のあるキーボードというものは、今はもう無いのだろうか。

ひと昔前ならば、メンブレン式のキーボードでいくらか上質なものがあった。私は好きだった。どこでも簡単に手に入ったものだ。例えばミネベアだとかミツミだとかの製品がその代表的なものだった(のちにその2社は統合した)。ふとした時に周りの人と「昔のキーボードは打ちやすかった」という話題になる事が時々あるが、この時代の製品の使い心地の良さを思い出してそう言う人もきっと多い事だろう。

そもそも、90年台の市販のデスクトップパソコンは、もともと買った時に本体に付属しているキーボードが上質だった。英語104に変更したいとか、親指シフトにしたいとか、カラーをブラックにしたいとか、全く違うタイプのものが欲しい場合ぐらいしか、わざわざキーボードだけを買うなんて発想が出てこない位だった。みんな打ちやすいキーボードばかりだった中で、コンパックや富士通などは、さらに頭一つ上だったと、当時を知るマニアックな人はよく語っている。

しかしそんな恵まれた環境は長くは続かなかった。2000年代に入る頃になると、こういう良質な付属キーボードは次々と姿を消してしまった。コンパックは、HPに統合されて製品ラインナップ自体がいつの間にか市場から姿を消した。富士通のPCの付属キーボードも、悪いものになったとまでは言わないが、90年代のものとは別物になって、相対的にはいくらか安っぽくなった感は否めなかった。
 
その頃シェアを伸ばしていたPCメーカーにDELLがあった。DELLのキーボードは特に安っぽくて打ちづらくて、今思い出しても嫌な気持ちになるほどだ。その安っぽさ・打ちづらさは現行モデルでもまだ健在だけれども、この時期のDELLと言ったらさらに酷くて、キーボードの質の悪さがDELL製品の代名詞と言っても言い過ぎではなかった。使い手がわざわざ気を遣って丁寧にキーを叩いてやるのが前提で、少しでも気を抜いたとたんにミスタイプ、みたいな感じで、実用性に支障を感じる程だった。
 
他のメーカーのキーボードも品質の劣化が進んだ。デスクトップPCに付いてくるキーボードは、マルチメディアキーボードなんて言って独りよがりに凝ったものになるか、あるいは買い換えるのが前提のオマケ程度の安っぽいものへと変わるか、2つの方向のどちらかに向かうのが典型だった。そうやって各メーカーがどんどん迷走していくのを見てはうんざりしていた。うんざりしながらも、そのうち世間も珍しいものに飽きて再び実用的で品質のしっかりしたキーボードに原点回帰してくれるのではないか、という期待感がどこかにあった。しかし期待も虚しく、その迷走ぶりは収まるどころか、どんどん拡大していった。

ついには自分が職場で業務用に貸与されているパソコンまでも、使いづらいキーボードの急先鋒、DELLの製品にリプレイスされてしまった。DELLはスペックに対して割安だった事からその頃勢いよくシェアを拡大していた。我慢も限界を超え、機器を管理する情報システムの部署に直談判した。新しく貸与されたキーボードの品質が悪すぎる。貸与されたキーボードはちゃんと保管しておくので、自前のまともに打てるキーボードを持ち込ませて欲しい。そうすればきっと生産性が上がるので許可をしてくれないか、と。担当部署のボスは理解してくれ、許可してくれた。聞けば、その人自身もキーボードの質の悪さは承知ながら、コストダウンのために苦渋の決断でDELLを選んだという。すぐに私はPCショップや家電店のキーボード売り場を訪ねて回った。頭にはミネベアのメンブレンキーボードを思い浮かべながら。それはとにかく手頃な価格で使いやすいと好評な製品だった。私自身、実際に触ってみた事があった。しかしタイミングの悪いことに、ほんの少し前に販売が終了され、どこの売り場からも消え去っていた。間に合わなかった。
 
そこで代わりに、ミツミのキーボードを買った。オウルテックがパッケージングしてKFK-EA9XTという型番で売っていた。ミネベア製品が消えてからしばらくの間、ミツミのメンブレンキーボードはOEMでも単体でもよく出回っていた。ミネベア製よりも少し廉価で、軽くて安っぽい感じはしたものの、それでも深くて柔らかいキーストロークは心地よいもので、全体的に使いやすかった。どこでそのキーボードの話を聞きつけたのか、職場の色々な部署の上司たちが私に頼むので、何度か会社の仕事用に買った事があった。そしてたしかこの頃のNECの法人向けのパソコンには、もともと純正でミツミ製のキーボードが付属していて、そのせいでNECには少し好感を持っていた記憶がある。しかしそのミツミのキーボードだって、いつの間にか姿を消してしまった。あちこちで売っている状況は、10年も続かなかったのではないか。ある日、いつものミツミを買おうというノリで買いに出かけると、どこにも売っていなくて愕然とした。

2010年前後から増えてきたのは、キートップが真っ平らでストロークの浅いアイソレーションタイプのキーボードだった。アイソレーションタイプならミスタイプが減りますなんて、誰も信じないような無理筋の宣伝文句をよく見かけた。それらは、低コストなメンブレンキーボードながら、パンタグラフキーボード風っぽく見せようと、ユーザーを欺いているようにも思えた。確かに見た目はスッキリしているけれども、キーが押しづらいし、指も疲れて、一日中キーボードを触っている人間にはとても耐えられない。私には、パーツのコストを省いているのをスッキリした見た目でごまかすちょうどいい方法をメーカーが思いついたかの様に思えて仕方がなかった。だから多くのメーカーが好んで採用してるのではないかと疑ったし、今でも疑っている。
 
そんな2000年代と2010年代だったが、種類は減りながらも、打ちやすい良質なメンブレンキーボードはまだなんとか手に入る状況ではあった。チコニー製(たしかエプソンダイレクトが標準で採用していた)やレノボ(旧IBM)のプリファードプロ(2でなく、昔ながらの)やhpの純正品といったものがそうである。これらはかつてのメンブレンキーボードの良質さをちゃんと受け継いでおり、ちょっと探せば入手できる状況にあった。秋葉原の裏通りには、ワケありで法人向けPCのセットからバラしたみたいな新古品をジャンク価格で大量に売っている店がいくつかあって、私はいつもそれらの店の場所を頭に入れていた。
 
秋葉原といえば、クレバリーというキーボード専門店もあった。ショールームのように大量の実機サンプルがとして整然とディスプレイしていて、タイピングの感触を確認して買うことができた。秋葉原に行く機会には、いい新製品が無いかとわざわざ立ち寄ってみる様な好きな店だった。ところがそのクレバリーも2010年代の始め頃に閉店してしまった。会社が破産したとニュース記事で見た。キーボード専門の店舗の業績が不審だったかどうかは分からない。とにかく、仕事がら、いつも使いやすいキーボードに関心を持っていた私にとってその閉店は、がっかりする出来事だった。

それからまた時が経って2020年、思い立ってチコニーやプリファードプロの新品を探し回ったものの見つからない。秋葉原の裏通りからも新古品が消えてしまった。どうやら、流通がもう途絶えてしまったようだ。とても残念だった一方で、やっぱり、という気もした。
 
それでも頭の片隅で気に掛け続けていると、最近ようやく、良質な製品が見つかった。しかもそれは、これまで見たことのないメーカーの製品だった。Perixx(ペリックス)というドイツのメーカーだ。2006年に設立されたという比較的新興のメーカーとの事なのだが、そこは技術大国のドイツだけに、品質には信頼を寄せられそうだ。

ディテールを見てみると、全体が緩やかにしゃくれる様に反ったカーブドステップストラクチャだ。90年代風の懐かしいシェイプだ。Windows95発売直後に初めて買った富士通のパソコンについていたのがこんな風にしゃくれていた。ボディは無理に小型化される事なく、ファンクションキーの向こう側まで少し伸びた、大柄なボディだ。もちろん、ファンクションキーが小型化されたりなどしていない。


キーの配列はPC-AT互換機のこれまた伝統的な日本語109型のもので、左右両方にWindowsキーがあり、スペースキーの左右の両端がvキーとnキーの間に収まる短いものだ。ボディカラーはホワイトとブラックの2色(のちにベージュが追加されて現在は3色)で、ホワイトのほうは印字の消えにくいレーザー刻印だ。ちょっと薄く、滲んだように見える文字は、独特の雰囲気があって懐かしい。日本語のカナ文字だってもちろん省略される事なくちゃんと刻まれている。

キーレイアウトばかりでなく、キーストロークもまた古き良き正統派の打鍵感を継承している。ストロークは深くて柔らかく、ブレずにスムースに沈み込む。販売価格も、ミネベアやIBMプリファードプロなど、かつての良質メンブレンキーボードに近い感触だ。 高くないのはもちろんありがたいし、かと言って安すぎないのも、無理して原価を削っていないのかな、なんてある種の安心感を感じさせる。

そんなPerixxの製品を発見してほっとひと安心したところに、さらに追加で2つの思わぬうれしい発見をした。

1つ目は、レノボのプリファードプロ2という、IBMのプリファードプロの後継機の存在である。2つ目は、ソリッドイヤーのロングセラーモデルのキーボードが今なお入手可能だというのがわかった事である。

レノボのプリファードプロ2は、もはやあのブルーのエンターキーではなく、見た目は先代のプリファードプロから多少様変わりをしたものの、ブレの少ない深めのストロークが健在の、フルサイズのキーボードだ。素材をむやみにケチっていない様な、ガッシリとした樹脂の質感があり、高級品ではないながらも安っぽくは無い、まさにこの記事で求めているタイプの製品だ。

 ソリッドイヤーの製品は、2000年代の半ば頃に、安価で打鍵感が素晴らしいと、ネットでだいぶ話題になっていたのを覚えている。今でもPS/2モデルとUSBモデルが併売され、ロングセラーぶりを感じさせられる。

しかしこれまでの流れを見る限り、せっかく見つけたこれらのキーボードだっていつ入手不可能になっても不思議ではない。四半世紀にわたって古き良き正統派という立ち位置を貫き続てきたこんなキーボードたちだが、今や絶滅の気機に瀕している様に見える。入手できなくなると困る人は、早めにキープしておくのが良いのかも知れない。もちろん私も予備の在庫を保管してある。正直、2020年代になってもなおキーボードが主要な入力デバイスだなんて思ってはいなかった。この調子だと、この先もまだ暫く、使いやすいキーボード探しは続ける必要があるのかも知れない。

 (2024.09.11 更新)



─上の記事のキーボードはここで手に入ります─

往年のミネベア、チコニーや富士通の純正などの流れに近い。とにかくクセのない昔ながらのキーボードだ。白に関してはキーの印字が消えにくいレーザー刻印だ。カラーは90年台のベージュがかったグレーではなく、00年台以降の白に近い極薄グレーといった色合いだ。
ペリックス PERIBOARD-106W JP - パフォーマンスキーボード - 有線USB - 最大2000万回のキーストローク - フルサイズ:456x169x34 mm - 日本語配列キーボード【正規保証品】- ホワイト






ブラックのカラバリがあるのもうれしい。本体や部屋のインテリアと合わせられるのはもちろん、ブラックのキーボードにはモニターから発せられる光線を反射しにくいため、視界に入っていても気になりにくいといった機能的な利点もある。
ペリックス PERIBOARD-106B JP - パフォーマンスキーボード - 有線USB - 最大2000万回のキーストローク - フルサイズ:455x170x45 mm - 日本語配列キーボード【正規保証品】- ブラック



少し遅れてラインナップに追加された「ベージュ」。全体がベージュという事よりは、むしろキートップのカラーが白とグレーのはっきり異なる2色に色分けされている事のほうが目立っている。白よりもさらにノスタルジックな雰囲気で、インテリア性もあるデザインだ。


ペリックス PERIBOARD-106M JP キーボード 有線 パフォーマンス USB -フルキー テンキー付き - ヴィンテージ・ベージュ カラー【正規保証品】JIS配列準拠 日本語配列


まだ黒のキーボードが少数派だった時代から、黒の筐体に映える青のエンターキーは、プリファードプロの目印であった。残念ながらそのカラーリングは失われてしまったが、それでも良質な使い心地のメンブレンキーボードであるという点はしっかり継承している。980円で手に入るサードパーティー製と見た目は似ていようとも、持ち上げてみた瞬間、ずしりと来る重みでまるっきり別物なんだと思い知らされる。



打鍵感の良いキーボードとしてキーボード専門店からもイチオシされ、一時期話題になっていたソリッドイヤーのキーボードは今でも入手可能であった。本体の造りはそのままに、インターフェイスが今日の使い勝手にマッチするUSB接続に。

Solidyear キーボード ACK-230U 日本語(白)USB