公立図書館の音楽CDの収集のしかた

私は横浜市から東京23区内に引っ越した。東京都は横浜市に比べて色々なインフラが充実していると感じていたが、図書館もそのひとつだ。

我が国の、というか、世界中の社会には貧富の格差がある。 その是非はともかくとして、貧富の格差が確かに存在しているというのがこの社会の現実だ。そういった社会で、図書館は持たざる者が知識を吸収したり、文化に触れたりして、QOLを向上させたり、あるいは学歴や職能を手に入れるために知識を身に着け、上のステージへと這い上がるチャンスを得る場として、貴重な存在だと思う。

図書館のスタッフと利用者のイラスト

東京23区内には図書館の数が多く、蔵書も充実していて、貸し出し・返却もスムースだ。 

さらに驚いたのは、CDやDVDを貸し出している事だ。

今や若い世代にはストリーミングやダウンロードが主流であり、CDは少し古いメディアかも知れない。そうではあるものの、CDは少し高めの年齢層の人々であったり、通信料の課金を節約したい人を中心に、もうしばらくは手軽に聴くことのできるメディアとして一定の存在感を持ち続けるだろう。誰もが、図書館に行けばCDによって音の芸術・文化に接する機会が持てる。これは社会にとってとても素晴らしい事だ。

しかしひとつ、残念な事がある。蔵書とするCDの収集のしかたについてだ。名盤や名作と呼ばれる作品の蔵書が少なく、反対に聴く人があまり居ない様な作品が蔵書の多くを占めてしまっている。色々と語弊や表現の不正確さがあるのは承知ながら、あえてわかりやすい言い方をすると「買い付けがセンスが無くてヘタクソ」なのだ。結構な枚数が置いてあるのに、世間で名盤と呼ばれているタイトルが少なく、言い方は悪いが駄作ばかりが集まっている状態なのだ。

私は出かける時に、付近に公立図書館があれば覗いてみる。そうやって今までにかなりの数の図書館を見てきた。今の所、CDコーナーの棚が名盤・名作でガッチリ固められているとか、そこまで行かなくても、ある程度妥当性のある蔵書のラインナップだと感じられるような図書館は一件も見つかっていない。

私はかつて輸入盤CDの大手の卸売事業者でマーケティングの仕事をしていたのでこの辺りの商品知識はそれなりに確かだと思う。

公立図書館として、CDの収集に同じ予算を使うならば、できるだけ多くの人の関心に応えられるように、あるいは多くの人に名作の良さを感じてもらえたり、学問や研究の材料に活用してもらえる場が少しでも増える様に、多くの人が名作や名盤として認めているタイトルから優先して収集してもらいたいと思う。

しかしどの様にすれば、そういう収集ができるのか。

ひとつの方法は、専門家によって選ばれたリストを活用するのが手っ取り早いだろう。例えば次のようなものがある。

  • アメリカ議会図書館による「National Recording Registry」
  • 米ローリング・ストーン誌による「500 Greatest Albums of All Time」
  • 英Qマガジンによる「Q Magazine's 100 Best Albums Ever」
  • 米エンターテインメント・ウィークリー誌による「Top 100 Albums」
  • 米SPIN誌による「The 300 Best Albums Of The Past 30 Years (1985-2014)」
  • スイングジャーナル誌による「読者が選ぶジャズ名盤ベスト100」
無論、ひとつのリストだけではバイアスや偏りがあるかも知れない。それならば、複数のリストの順位を総合してスコアリングするなどして評価をミックスすれば、さらにバランスを是正できるはずだ。

また、新譜を収集するというのは、アーティスト達の最新情報についてかなりの知識を要するので、CD専門の担当者でも居ない限りは、上手な収集をする事は難しいのではないかと思う。ならば思い切って、新譜の収集をルーティンから外してしまうのも、ひとつの理にかなった考え方だと私は思う。リリースされてもすぐには収集せず、暫く専門家の評価やチャートアクションを観察してから判断するという方法の方が、失敗が少なく、妥当な収集がしやすいだろう。

新譜の収集が難しいのには、色々な要因がある。

ひとつは、音楽シーンに相当詳しくなくては上手に収集できないという事だ。
新譜を収集するとなると、音楽雑誌の新譜レビューや、レーベルの新譜情報を情報源とせざるを得ないと思う。これらの中から、「この作品はきっと高く評価され、名盤になる」と予測するのは、実はとても難しい事なのだ。
というのも、雑誌やレーベルの新譜情報が注目作品として取り上げる作品が、必ずしも商業的にヒットするとも、専門家から高い評価を得たりするとは限らないからだ。ただ単に大きく取り上げられている作品を収集したのでは、かなりの確率で駄作を収集する事になってしまう。名盤として評価される作品をある程度の確率で収集するには、雑誌やレーベルの新譜情報の紙面に書いてある事以上の知識を持っている事が不可欠だ。

大御所アーティストを例にしてみよう。大御所アーティストの新作は、音楽雑誌の新譜レビューや、レーベルの新譜情報では、トップに大きく取り上げられやすい。しかし悲しい現実だが、キャリアを通して名作を連発し続けるミュージシャンは少ない。ほとんどのアーティストには、作品のクオリティのピーク期というものがある。特に、高齢になるとどうしても若くて脂の乗った世代の作品にはかなわない。

例えば、ローリング・ストーンズがまもなく新譜を出すとなると、音楽雑誌やレーベルの新譜情報は、間違いなく大きなスペースを割り当ててトップのほうに取り上げる。事情をあまり知らない図書館の職員さんは、それを見て発注してしまうだろう。しかし、音楽事情に詳しい人は、もはや今のローリング・ストーンズが、彼らのキャリアのひとつのピークに匹敵する名作をリリースしたり、あるいは今まさに勢いのある若いアーティストと競えるような名作をリリースしたりする事は無いと考えている。実際に彼らは、はるか昔の1981年リリース作品を最後に、以降リリースされたどの作品も世界中のトップクラスのセールスを記録する事も、名作という評価を受ける事もなくなってしまっているのだ。

もうひとつ考えられるのが、予算の消化の難しさだ。新譜の収集がルーティン化されている場合、そこには予算が定期的に割り振られると思う。しかし名盤がリリースされるタイミングというのは一定ではない。名盤のリリースがラッシュになるタイミングもあれば、名盤が日照りになってしまうタイミングもある。ラッシュの時期には予算不足で名盤が収集しきれないという事が起こるだろうし、日照りの時期に予算を使い切ろうとすれば、そこまで評価の高くない作品を無理矢理に収集する事になるだろう。

これは想像だが、公立図書館の収集の現場には、実際にこんなメカニズムがありはしないか。新譜情報で大きく取り上げてられている、という事を頼りに有名アーティストの新譜を収集するのだけれども、そのアーティストのピーク期は既にちょっと過去の話になってしまっている。そして、言い方は悪いが、絶頂期を既に通り過ぎてからリリースされた、世間から駄作扱いされている様な作品がどんどん集まってしまう。大物アーティスト作品の作品はたくさん収集しているのだけれども、彼らの過去の絶頂期にリリースされた代表作を振り返って収集する事もせず、結果として「このアーティストの作品の中で、そのアルバムを選んじゃいますかね?」みたいなタイトルばかりが勢揃いしたライブラリーが気が付けば出来上がってしまっている。私が見て回ったところ、実際に多くの公立図書館の蔵書がそう疑いたくなるラインナップになってしまっているのだ。

実は、例えばCDを販売している人など、真剣勝負の商売として関わっている人々は、そういう風に、大物アーティストであってもいつまでも名作ばかりをリリースし続けられないという、ある種の悲しい現実をしっかりとふまえて、在庫を持つ新譜と、持たない新譜の取捨選択をしている。そして、下手な新譜よりもよほど回転率の良い、歴史的名作と呼ばれるようなカタログタイトルはしっかり調べて、棚に常備してある。図書館の職員さんにもその辺りの事を知っておいて欲しい。そして自分の勤務先の図書館の棚の蔵書と、同じぐらいの枚数を棚に並べて売っているCD屋さんの売り場の棚とを比較してみて欲しい。図書館のCDには返却期限もあるし、反対に名作の良さを知ってもらうきっかけ作りの効果もある。だから、蔵書をしっかり管理して、名盤をきっちり取り揃えたとしても、それが民業圧迫に繋がる事はないだろう。

CDの蔵書を収集している図書館の職員さんには、これらの事をふまえ、その収集方法について、ぜひ吟味してもらいたい。

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